安産祈願と七五三
世の中、いろいろあるものですが、
念願の第二子が安定期に入ったこともありまして。
10月戌の日、安全祈願をしに
ご近所の中山法華経寺 鬼子母神へ。
荒行でも有名な日蓮宗 中山法華経寺
11月1日から翌年2月10日までの100日間。
・真冬に1日計7回の寒水による水行
・1日の睡眠時間は2時間
・朝夕二2食の梅干しとお粥生活
ということで、毎年、脱落者が出るという荒行も、
今年はコロナで非開催という地獄に仏な話だそうです。
余談ですが。
大雨の中、戌の日 安産祈願
「戌(犬)は多産でありながらお産が軽い」ことから、
妊娠5カ月目の戌の日に安産祈願をするという習慣JAPAN。
十二支が一回りするので、月に2~3日しか戌の日がない
&土日に重なるのはレアということで、大雨に負けず安産祈願へ。
みんながスマートフォンを持っている時代に、
こういった昔ながらの習慣が残っているのは
おもしろい国なのだなと感じたりもしていて。
オンライン参拝やオンライン読経も出てきているのは、
神様も仏様も戸惑っているのか、
やっとここまで来たかと感じられているのか。
余談ですが。
いっしょに息子の七五三祝い
11月になると混むので、おまけに七五三祝い。
男女は三歳。男子は五歳。女子は七歳。
という知識しかなかったので。調べてみると。
子どもの死亡率が高かった平安時代、
無事に成長することを願って行われていた
さまざまな儀式が七五三の由来とのことで。
以下、いいまとめがあったのでスタジオアリスHPより引用
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〇3歳「髪置きの儀」
平安時代の頃は男女ともに生後7日目に頭髪を剃り、3歳頃までは丸坊主で育てていました。これは頭を清潔に保つことで病気の予防になり、また健康な髪が生えてくると信じられていたためです。3歳の春を迎える頃に「髪置きの儀」を行い、成長を祝い、髪の毛を伸ばし始めました。長寿を祈願するために、白髪を模した白糸や綿白髪を頭上に置いて祝ったとも伝えられています。
5歳「袴着(はかまぎ)の儀」(別名:「着袴(ちゃっこ)」)
平安時代、5~7歳の頃に当時の正装である袴を初めて身に付ける「袴着(はかまぎ)の儀」を執り行ない、この儀式を経て男の子は少年の仲間入りをし、羽織袴を身に付けたとされています。当初は男女ともに行っていた儀式でしたが、江戸時代に男の子のみの儀式に変わっていきました。儀式はまず天下取りの意味を持つ碁盤の上に立って吉方に向き、縁起がいいとされる左足から袴をはきました。また冠をかぶって四方の神を拝んだとも言われており、四方の敵に勝つという願いが込められています。
現代の皇室でも、男児の儀式として数え5歳の時に「着袴(ちゃっこ)の儀」、その後に碁盤の上から飛び降りる「深曽木(ふかそぎ)の儀」が続けられています。この「深曽木(ふかそぎ)の儀」に倣い、碁盤の上から飛び降りる「碁盤の儀」を七五三詣の時期に開催している神社も全国各地にあります。
7歳「帯解(おびとき)の儀」(別名:「紐落し」「四つ身祝い」)
鎌倉時代、着物を着る際に使っていた付け紐をとり、帯を初めて締める成長の儀式が執り行われていました。これが室町時代に「帯解(おびとき)の儀」として制定され、当初は男女ともに9歳で行われていたとされています。そして江戸時代に男児は5歳で「袴着(はかまぎ)の儀」を、女児は7歳で「帯解(おびとき)の儀」の行う形に変わっていき、この帯解を経て大人の女性へ歩み始めると認められていました。
3歳・5歳・7歳を節目とした理由は、暦が中国から伝わった際に奇数は陽、つまり縁起がいいとされたからだとか、「3歳で言葉を理解し、5歳で知恵がつき、7歳で乳歯が生え変わる」という成長の節目の歳だからなどが言われています。
なかでも7歳は「神のうち」から人間として現世に完全に誕生する大きな祝いの歳とされていたため、七五三の中でも7歳の儀式を重視する地方が多かったようです。
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七五三って当たり前のようにある習慣と感じていましたが
こうした背景があったのですね。子育てで学ぶことも多いものです。
いつの時代も「元気に育ってほしい」
まずは無事に第二子(男子?女子?)が生まれてくれて。
ふつうに元気に育ってくれれば、
それだけでいいなと思うのが、親心なもので。
100食売れたら、その日は営業終了。
佰食屋のような生き方はいいなと思いながら。
「できることを、できるだけ届ける」
という方針で、ナベドコロも
頑張りすぎずに頑張っていこうと思います。
コピーライター事務所「ナベドコロ」
東京・千葉・信州&WEB会議 渡辺さとし
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