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天下分け目の関ヶ原


岐阜へ出張取材に行ったので、

時間をつくって、天下分け目の関ヶ原へ。


1600(慶長5)年 「関ヶ原の戦い」


というと、石田三成(西軍)が徳川家康(東軍)に敗北して、

江戸時代につながっていった戦い。というおおまかなイメージ。

信州人なので、武田信玄と真田家はけっこう好きなのですが。


(石田三成の本陣 笹尾山より)

実際に、現地へいって概要を見てみると、

総兵数で勝る西軍も、小早川秀秋の寝返りと、

毛利軍と長宗我部軍を阻む形での吉川広家の裏切りで、

ほぼ東軍の勝利が確定したなというのがよく見えて。


徳川家康の謀略の上手さはすごいなと。

400年以上経って、思っていたり、笑。

友情のために戦死した、大谷吉継


も、人気のある武将ですが、

せっかく関が原に来たので、大谷吉継の人と墓も見ておこう。

と思っていくと、片道徒歩20~30分かかって、

しかも途中から山道という遠足のような道すがら。


戦前より、小早川秀秋の寝返りを疑っていた大谷吉継は

小早川秀秋が陣を張る松尾山が見える位置に陣をとっていました。


寝返りから、一時は盛り返すものの、

脇坂安治・朽木元綱ら西軍の武将も寝返ったことで

自害(享年42)。天才軍師も、天才軍師も、

裏切りには勝てなかったのです。

そして、時代は幕末・明治維新へ

家(後の薩摩藩)と毛利家(後の長州藩)が、

中心となって、幕末・明治維新につながっていく。

人の恨みはおそろしいものだなと、

戦後400年経ち、のどかな町並みが広がる

関ヶ原で歴史を感じていたのでした。

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